どうしても必然性のあった映画上の表現以外で、若いうちに裸を見せた場合は芸能界内のヒエラルキーは一気に下がる。次に待っているのは、裸か性行為に近いものが露骨に端的な性的興奮を表現する手段として使われる、そんなシーンの映ったVシネマが活躍の場所になる。
果たしてどんどん活動の場は狭まり、TV視聴が芸能の世界の人間を目にするほとんどの機会である、いわゆる一般的な人々の視界からそのタレントは消えてしまったということになるだろう。彼女は何になりたかったのか。
前置きが長くなった。ヌードになった時点で少なくない金額はもらえるかもしれないせよ、競技に戻るなどは120%無理であるし、さすがに復帰(一旦辞めたとして組織に籍があるならば、か)を期待しているほど本人が世間知らず、脳天気だとは想像しづらい。一体これからどうしていくのだろうか? AVにでも出演することになる?

協会とどの程度の争いになったのかは知らないが、その動向如何ではAVであってもメイン路線のメジャーレーベルから出演作を販売するのは、難しいのではないかと推測する。例えば「競技X」や「女王」という単語を使ったら協会が損害賠償を求めるか、今以上に剣呑な状態になってしまえば活動を自粛しなければならなくなるかもしれないし、せっかく裸になった目論見も潰れてしまうことになる。これからどうするのか、そもそも何がしたかったのか。
今回のヌード問題からは離れるが、最後に少しまとめてみたい。私は、世の中にはあまり多くの人に広がり過ぎないほうがいい情報があると思っている。知らない人間の近くにまで行って耳を傾けさせる必要のないものだ。誰が受け取るか事前に分からず、不特定多数の目に晒される状態で世間に垂れ流す行為は、本来は非常に危険であるし無責任な姿勢でもある。垂れ流す側のメディアの人間は自らの責任といったものをどのように考えているのか。
「権利」を保障するためといささかヒステリックに宣言したその実、大上段に構えられた特に写真週刊誌などが口にする希釈された「権利」は、人間が根強く持っている俗的な欲求を満たすことが根本の原動力ともな數學M2っているのだ。
諸問題における、一般的に望まれるメディアの姿勢として、まず核心部に直接関する場所から情報開示を求め、あるいは内部告発を促し、外部からは必要項目の調査・追及を行い報告がなされるはずが、次第に拡大する興味本位の卑俗な目的に遣われた上で一方には悪者叩きが流行していく。
週刊誌を愛読しつつも、段々と問題はっきりとしなくなり、嫉妬や漫然とした世の中への不満感からすり替わった義憤へと駆られているスクラムがっちりの読者がいて、大衆に伝える側も主張するほどの根拠もないと本当は分かっていながら、一応に正当化の文言として「権利」をしばしば口にする。結局は正面からまともに扱うというよりも劇化、扇情化による部数増を求めての営業戦略でしかない。
その意味では両者の共犯関係が人のプライバシーを侵し、スキャンダルを大袈裟に騒ぎ立て、またはありもしない犯人を作り出すことに血道をあげるのである。
多少なりと当初興味を掻き立てる狙いであっても、国家や地域に関わる政治・経済の問題、または重大な外交行事や世間の耳目を集める凶悪な犯罪の類といったものは、市民としての権利、社会の秩序安寧のためにも、確かに「権利」をどこまでも担保された上で知るべきを知らなければならない(または受け手との関係性によっては、その責任が発生する)といえるだろう、がM 字額。